命日(倉庫 フォークリフト 加工 製造 工場 神奈川 横浜 横須賀 川崎 東京 平塚 埼玉 求人)
日々の業務お疲れ様です。
田崎です。
一昨日の夜当社の代表より一通のメールがあり
代表「明日午後14時以降予定無いよな?2時間くらい時間空けれるか?」
多分何かの打ち合わせなのかな?
と思い時間を空けて特に気にはしていなかったのですが
当日
14時ごろ
代表「田崎待たせて悪いな!じゃあ行こう。」
え?何処へ??
私は代表に連れられ車に乗せられ
目的地も分からないまま車を走らせました。
途中お花屋さんにより、お花を購入し
コンビニに寄り缶ビール2つとレモン酎ハイ1つを購入しているので
お見舞い?
誰のだろう
そう思いながら車を港北方面に走らせました。
代表「着いたぞ」
着いた先は
墓地、、、
もしかして
代表「今日は安達の命日だ」
本日7/20は当社の社員で14年前のこの日
通勤途中で亡くなった安達さんの命日でした。
安達さんは私の1つ上の先輩で私が山崎商事に入った
きっかけとなった方で、いつも私の妻子共々お世話になった
恩人の方。
まだ入社して19歳そこそこだった頃
よく家族同士で焼肉を御馳走して頂いたのをよく覚えています。
安達さんだってまだ20歳で子供も2人も居るのに
後輩に金は払わせないっていつも無理をしてご馳走してくれる
方でした。
私の妻が事故で入院すると、次の日にわざわざ鎌倉までお見舞いに
来てくれるようなそんな人でした。
そのような私の恩人の命日が昨日でした。
安達さんのお墓に着きお墓を見ながら代表が
お墓に向かって寂しそうに話しかけました。
代表「そうか。もう誰も来てくれなくなったのか。」
代表「今日は暑いからな。涼しいか?」
と水をかける
田崎「私がやります。」
代表「今日は暑いからいっぱいかけてあげてな。」
その後、先ほどコンビニで購入した
ビールとレモンサワーを取り出し
レモンサワーの封とビールの封を開けて
代表「安達。酒の飲めないお前だけど
お前俺のよく飲んでたレモンサワーは飲めるようになったんだもんな。ほら飲めよ。」
とレモンサワーの飲み口を安達さんのお墓に向けて
代表もビールを一口飲みました。
私は反射的に身体がゾクゾクしてしまいました。
それは
その光景を見て感動したのは事実ですが
それよりも悔しさの方が上回ってしまいました。
安達さんが18歳で山崎商事に入社して8年
若干26歳という若さで奥様と子供2人を残して
他界して在籍期間よりも長い14年も経った今なお
こうして代表は毎年安達さんの命日に脚を運んでいるのです。
悔しい。
私は痛感しました。
代表の器の大きさに
私は一生掛かっても
この人には追い付けない
多分。
人の外側の部分は勉強や練習で賄うことが出来ても
内側の部分、器の大きさは努力して
大きいように演じる事は出来ても
内面の根っこの部分は、多分変える事が出来ない
きっとその人が持ち合わせている、温かさだと思っています。
それがこのようなときに表面に出るものなんだと
それを持っていない私は
今後いくら代表に近づこうと努力しても
もう追いつくこは出来ないのだなと感じたからです。
なぜなら。
私はあれだけお世話になっていた安達さんの
命日をすっかり忘れて
お墓に連れてきてもらうまでは通常の一日のように
過ごしていたのに対して
代表は14年もの長い年月
可愛がっている従業員の事を忘れず
毎年命日には安達さんに会いに行っている。
なぜ代表の周りに人が集まり
社員皆代表の為に努力をするのか
自分と代表の器量の違いを
まざまざと魅せられた瞬間でした。
私は安達さんのお墓に向かって
安達さんへの謝罪と感謝の気持ちを込めてお祈り
しました。
それしか出来なかったのは
正しいですかね。
代表「田崎。そろそろ帰るか。いつも思うけど
なんか墓参りに来たのかビール飲みに来たのか
わかんないな。」
田崎「安達さんと飲みに来たんじゃないですか。私は運転なので飲めませんでしたが」
こうして14年越しの安達さんとの再会が終わりました。
今なお代表のデスクの横には
大きな安達さんの遺影が置かれています。